こんなチャンスは二度とないに違いない。突き放す気になれない自分への言い訳でもあったが、泣きたいほど心地良い温もりに、永井の身体は宮小路へ委ねることを選んだ。
取引先の相手と、ましてや社長と寝るなんて、許されるはずがない。こんなものは枕営業と糾弾されても仕方のない所業だ。理性がそう叫ぶ一方で、もう一人の自分は、この甘い腕に身体を預けることを望んでいる。一度くらい誰かに愛されてみたい。優しくて風変りな御曹司だから、根拠のない安心感も抱いていた。
ソファの背もたれから永井の身体がズレ落ちて、当然のように宮小路が覆い被さってくる。チャリンと甲高い音がフローリングを叩いたので目を向けると、ポケットに入れっぱなしにしていた百円玉が転がっていくところだった。
「あとで拾いましょう。今は私だけを見てください。」
甘い言葉も、永井を骨抜きにしていく手も、人を愛でることに長けているようだ。その事がチクリと永井の胸を刺したが、駆けていきそうになる好意を留めるには効果的だった。
自分一人が夢中で呆気なく別れを突き付けられたら、長く喪失感に苛まれるのは容易に想像できる。その時は、また一つ心に傷を刻み込むことになるだろう。
どうしてこうも恋とは不自由なものなのか。穏やかに人を愛し、愛されたいだけなのに、この望みが届いたことはない。皆、同じように苦しんでいるのだろうか。世の恋人たちは和やかな時を刻んでいるように見える。しかし経験の浅い永井には到底わかりようのないことだった。
優しく重なった唇は柔らかい。唐突ではなく覚悟していたから味わう余裕があった。一度離れた唇が一瞬満足そうに笑った気がしたが、すぐに深いキスが降ってきたので確かめることは叶わない。
宮小路とのキスは鰹出汁の香りがする。永井の口の中もきっと同じ味がしているんだろう。仄かに漂う宮小路の香水と唇を包む温もりにあやされて、永井は徐々に身体の力を抜いていく。
「あなたの髪も、白い肌も、清らかでこの世のものとは思えません。眺めているだけでおかしくなりそうだ。」
「ッ……」
惜しげもなく注がれる賛美が自分に向けられたものかと思うと、恥ずかしくて堪らない。他の人に言われたら、大層白々しく感じるだろう。しかし目を逸らした永井に、可愛いと言って髪を梳く宮小路の手は、まさしく愛おしいものを慈しむ手だった。
「永井さん、可愛いと言われるのはお嫌いですか?」
答える代わりに宮小路のシャツを掴む。この男にされることは何一つ嫌なことはない。ただ本心からの言動なのか戯れなのか区別がつかないから永井を翻弄させる。困る事と言えばそれくらいだ。
気を良くしたらしい宮小路は、長い指を駆使して、シャツのボタンを器用に外していく。露わになった永井の肌に隈なく唇を寄せて、宮小路の舌が這っていった。シャワーを浴びていないことに今さら思い至って、宮小路を押し返そうとしたがビクともしない。
「永井さん?」
「シャワー、浴びたい、です……。」
「焦らすんですか?」
愉しげに笑うと、宮小路が押し倒した永井の身体を起こして抱き締めてくる。
「それとも一緒に入りましょうというお誘いですか?」
「ッ……ち、ちがッ」
違うと否定しようとすると、キスで遮られてしまう。そのまま軽々と抱え上げられたので驚いていると、宮小路はバスルームへ直行した。
「あなたが嫌がることはしたくありませんからね。二人で綺麗さっぱり汗を流しましょうか。」
整った鼻梁にキリリとした眼光の鋭さが目を惹く面立ち。きっと多くの者を魅了してきたはずだ。上機嫌に微笑む威力は絶大で、永井の胸にストンと矢が刺さる。恋慣れていない永井など、宮小路の手に掛かれば赤子も同然だろう。簡単に射抜かれてしまう自分が哀れだったが、宮小路を恨む気にはなれなかった。
「ッ……ん……」
躊躇いなく奪いにくる宮小路の唇は、永井の常識をことごとく塗り替えていく。誰かとこんな事をするなんて少し前の自分なら考えもしなかった。けれど一旦宮小路に唇を許したら、彼と口付けることが自然なことだと思えたのだ。きっと都合の良い夢を見ているだけだろうけれど。
口付けの合間に、宮小路の手は迷うことなく二人分の服を剥ぎ取っていく。一糸纏わぬ姿になって、ふと彼の象徴が視界に入ると、猛る熱情の長大さに慄く。勇ましさを見せつけられても、彼と自分を比べようとは思わない。興味本位で手を伸ばし掛けて、慌てて手を引っ込めた。
触れてみたいと湧き上がってきた欲求は長く秘めていたものを永井に自覚させる。ずっと誰かに求められたくて、不器用な自分には与えられることがなかったものだ。
こんなものが一度でも自分を蹂躙したのだろうかと思うと信じ難い。今朝、身体に何の違和感もなかったのは、それだけ宮小路が手馴れているからだろうか。
「隅々まで洗わせてください。」
「え……」
「憶えていなくても、きっと永井さんの身体は憶えていますよ。」
「わッ」
泡風呂から湯気が立ち昇っていて、抱えられながら一緒に身を沈めた。帰ってきたばかりだというのに一体いつ準備したのだろうかと訝しんでいると、バスタブそばの操作パネルにタイマーらしきものを見つける。点滅する時刻を見て永井は納得した。用意周到な宮小路に唖然としたが、嫌な気はしなかった。
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朝霧とおる