卒業制作を提出し終えて締め切りが過ぎてしまえば、もう足掻きようがない。手伝ってくれた後輩たちを食堂で労って別れを告げると、試験を終えた恵一と歩が入れ替わりでやってきた。
「紳助さん、お疲れ様です。」
「お疲れ。試験はどう?」
「まあまあ、かなぁ・・・」
そう言いつつ顔が引き攣っている歩とは正反対に恵一の方は淡々としている。出来が良かったのか、あるいは諦めているのか、目を合わせてみたがどちらとも言い難かった。
「紳助さんは?」
「俺は試験ないよ。レポートだけ。」
「そうなんですか。」
「羨ましいよね。」
ようやく口を開いた恵一は心底楽しげだ。ここ最近、恵一は落ち着いている。学校も仕事も本当に楽しそうだ。
一つ予感があるとすれば、恵一はきっとこの世界でやっていく気がないのだろう、ということくらいだ。モデルの仕事を熱心に入れ始め、家の中にある彼の書物はデザイン書から体作りのための本にシフトしている。
元々無駄な肉はない身体だったが、艶やかさが一層増し、見栄えの良い筋肉も付きだした。
恵一がどんどん自分だけのものではなくなっていく。けれど生き生きと輝いて歩き出した彼の顔を見ているから、囲っておこうなどとは思っていない。
朝目覚める時は隣りで安らかに眠っているし、帰る家も一緒だ。そして何よりも恵一が嬉しそうにしていることが一番だった。
「サークルの旅行、今年はやめて、二人で行ってきたらどうですか?」
「恵一、そうする?」
「ッ・・・」
生憎、卒業制作に費用が掛かっているから大して遠出はできない。だからこそ歩の提案には乗っておきたいところだ。
定食のサバの味噌煮を箸で刺したまま固まっている恵一が、顔を火照らせて俯いている。
「俺はサークルの方、引率してきますね。二人が来ないとだいぶ人減っちゃいそうですけど。そもそも紳助さんは卒業だし、恵一の方は適当な理由付けとくよ?」
「恵一、どう?」
恨みがましそうな目をして顔を上げた恵一がポツリと呟く。
「二人とも、グル?」
「誓って共謀はしてない。歩が先輩思いなだけだから。」
訝しげなままの恵一に、歩が慌てて諭す。
「恵一、揶揄ってないよ。ホント! 紳助さんの仕事が始まったら、なかなか行けなくなっちゃうんだから、ね? 行っておいでよ。」
紳助の言葉よりも歩の言葉に納得したらしい彼に苦笑しつつ、ひとまず恵一が頷いたので良しとすることにした。
「あ、でも恵一。サークル辞めないでね?」
「辞めないよ。楽しいし。」
「良かった。」
目の前で照れ笑いを浮かべる二人に微かな嫉妬心が湧いて出てくる。恵一が自分に対してこんな風な仕草を見せることはない。こればっかりは歩にだけ。何だか少し負けた気分になる。
「歩、あんまりイチャついてると、おまえの恋人に浮気してる、ってチクるぞ。」
「酷い。仲良くしてるだけじゃないですか。紳助さん、大人げないです。」
「まだまだ子どもなもんで。」
「屁理屈!」
こんなバカなやりとりで笑い合っていられる幸せ。この時間が残り僅かということだけが惜しまれる。学生時代の特権だ。
桜が咲く頃、自分はこの温室を出て、新たな場所へ足を踏み出さなければいけない。すべての行動に責任を持つだけでなく、その真価も問われる。
楽しかった。けれど二度とこの時間には戻れない。恵一と歩が笑い合うのを見て、哀愁の念を抱いてしまう。それを悟られないよう微笑み返しながら、この幸せを一人噛み締める。
恵一との旅行は思い切り羽を伸ばして、許される限りバカな事をして笑っていたい。
恵一に会えて自分は変わった。一人をこんなに一途に想える日がやってくるなんて考えてもいなかった。
先に大人にならざるを得ない自分に、恵一はどこまでついてきてくれるだろうか。いつまでも彼が手を離さないでくれるといい。そう願いながら、笑う恵一にもう一度微笑んだ。
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朝霧とおる