手応えのあった仕事をついに受注した。すぐに連絡しないと、また恵一が不満そうな声を上げるだろうから、心配している彼へ一番にメールをした。
自分からは電話をしない。そう決めていたし、恵一に伝えてある。
電話一本で寂しがり屋の恵一を一喜一憂させたくない。恵一が泣いてもすぐに飛んではいけないからだ。
だから刺激するようなことは極力やめようと決めていた。
『三島、どうだった?』
「おかげさまで。」
『おめでとさん。ここのところ調子いいな。』
「それはたまたまでしょう。良い時もあればダメな時もあります。」
『今日、飲み行くか?』
「ぜひ。」
『お、珍しく即答。』
付き合いには極力出るが、恵一が仕事で精神的に波がある時は離れがたいことも多い。誘われても、昼時か夕方に必ず恵一に連絡を取っていた。
「そういう日があってもいいでしょ?」
『おお、なんか意味深だな、おまえ。まぁ、とりあえず帰ってきてくれ。もう一件、おまえに返事きてるから。』
「わかりました。」
紳助の勤める建築事務所は、ベテランが多い。紳助も即戦力になることを見込まれて雇われた。
アルバイト時代からの付き合いとはいえ、皆、要求してくるハードルは高い。喰らい付いていくのは大変だが、結果を出す難しさと楽しさに、紳助はすぐに虜になった。
電話を切って、早々に地下鉄へ乗り込む。混雑した中、製図入れの筒を持っていると一苦労だが、たった二駅しか乗らないのでたいしたことではない。
いつも仕事の移動で利用するこの駅は、内装リニューアルの話が出ている。先ほど電話口で言われたもう一件の返事とはそのことだろう。
色よい返事を期待しつつ、目的地である駅で下車して、階段を急いで駆け上がった。
* * *
機嫌の良さそうな社長の伊之瀬の顔を見る限り期待できそうな結果。
はやる気持ちを抑えて、まずは手持ちの案件の報告をする。
「伊之瀬さん、温泉施設の内装の件、無事受注しました。」
「幸先いいね。今年もいっぱい稼いでもらわないと。」
「頑張らせていただきます。」
「そうそう。若いんだから、がむしゃらに働いて。それと、こっち。受注は受注なんだけど注文がついたから、内容確認して、明日の夜までに代替案の目星を立てておいて。」
「わかりました。」
受け取った紙の束を抱えて席に戻る。
「三島。夜は鳥にしよう、鳥。」
「いいですね。シメの親子茶漬け、好きなんですよね。」
「俺も。旨いよなぁ、ってことで、他誰か行く?」
デスクから手を挙げたのは一人だけ。そもそも五人しかいない事務所だ。
「おっ、飯田も行ける? じゃあ、七時上がりってことで、よろしく。」
個々の能力も高い分、抱える仕事量も膨大だ。しかし不況と言われる中で、有難い話ではある。
紳助は資料をめくりはじめ、パソコンを起動する。明日の夜だと言われても未熟な自分が一発でゴーサインが出ることは、まだほとんどない。
七時まであと三時間。早速、先方の要求に見合う計画の見直しに着手した。
* * *
七時上がりの直前に伊之瀬のデスクに滑り込んで、見直し案のお伺いを立てる。
「うん。だいぶ数字が染み付いてきたな。見込みが今まで一番現実的にできてる。いいんじゃない? 帳尻も・・・合ってる。これでいこう。」
電卓を叩いて納得したらしい伊之瀬が、あっさり許可を下してくれる。やり直しで一発クリアは初めてかもしれない。内心ガッツポーズをとって、気持ち良く焼き鳥屋へ向かう準備をする。
先輩の飯田はさすがというか、五分前から喫煙所で一服していて準備万端だった。
居残り組に別れを告げて、伊之瀬、飯田、紳助の三人で事務所近くの焼き鳥屋へ入る。古き良き日本の佇まいが残る店内の雰囲気と商い人が、紳助は気に入っていた。
「シメは親子茶漬けにしたいんだ。おやっさん、三人分とっておいて。」
「あいよ。」
人気メニューだから言ったもん勝ち。ちゃっかり伊之瀬がキープしてくれる。
「あと、生ビール三つ。オススメの盛り合わせで始めてくれ。」
「伊之瀬さん、良い事あったって顔だね。」
「そりゃ、若手が良い仕事取ってきたから。」
「育て甲斐あるね。最近、続かない人多いって聞くしね。」
「うちのは大丈夫。根性あるやつ採ったから。」
伊之瀬にバンバン背中を叩かれながら席に着く。褒められて悪い気はしない。
「はい、生、三つね。」
「じゃあ、始めるか。」
「お疲れ様です。」
「お疲れっす。」
威勢良くジョッキを鳴らして、三人とも即座に飲み干す。
どこまで本気かわからないが、伊之瀬は紳助の飲みっぷりの良さにも惚れ込んで採ったという話を前にしていた。確かに事務所の面々は、全員酒に強い。
「三島。最近こっちはどうよ?」
小指を立てられて、苦笑する。女はいないから首を振った。
「若いくせに枯れてんなぁ。飯田、おまえもだぞ?」
「そういうのは余計なお世話って言うんですよ。なぁ、三島。」
事務所の中で一番歳が近いのは、この飯田だ。しかしそれでも紳助と十三歳、年の差がある。
いわゆる適齢期なるものを通り過ぎようとしている彼には重い話だろう。
「こんだけ人に仕事させといて、女作れって無謀ですよ。」
「そこをどうにかしてこそだろ。」
「自分だって結婚してないくせに。」
「俺は一回したから良いんだ。」
「俺だってこの状態じゃあ、同じ穴のむじなになりますよ。」
伊之瀬は離婚している。子どももいたらしいのだが、親権は取られたらしい。仕事が一番だと元奥さんに言ったら、そうなった、とのこと。そりゃ、そうだろう。家庭を築きたいと願うなら、嘘でも家族が一番だと言っておくべきところだ。
伊之瀬と飯田が話をヒートアップさせるのを横目で見ながら、恵一のことに思いを馳せる。
自分には大切な存在がいる。守りたいと言ったら怒るだろうが、それが本心だ。誰よりも近くで見守っていたい。自分にとって恵一とはそういう存在。
何が大事かと問われて、仕事と恵一を天秤にかけることはできない。今の自分にとって、この二つはどちらも手放すことができないもの。
けれど恵一に問われたら違う。おまえが一番だと断言するだろう。恵一が信じて疑わないように、自分なら丸め込んで納得させると思う。
人によって、大切なものは違う。だから誰かが正解で、誰かが間違っているということではない。ただ共に手を携えて生きていく者同士はその価値観を共有するか認め合えていないと、関係は破綻してしまう。
相手の欲しい言葉を求められた時に伝えることができるか。大事なことはそういうことだと、紳助は日々感じている。
求められている時に、ただそばにいるだけでいい。それで多くのことが時間とともに解決することを、恵一とともに学んできた。
「三島ぁ、おまえはマトモに生きろよぉ。」
お酒が進んで、伊之瀬が上機嫌に絡んでくる。一度離婚したからといって、この人にもまたいつか価値観の合うパートナーが見つかるかもしれない。未来は誰にもわからないのだ。
いつの間にか学生時代の武勇伝に話が移行しつつある上司に、紳助もとことん付き合うことにした。
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朝霧とおる