「瀬戸。長袖で暑くない?」
「・・・。」
誰の所為で今年一番の夏日に長袖を選んだと思っているんだ。高級焼き鳥専門店の室内は空調が効いて程よい室温だが、一歩外に出れば汗が滲んでくる。
瀬戸は坂口の疑問に無言で袖をめくり、手首についた噛み痕を突き出す。
「あ・・・。」
「そういう事です。」
「悪い・・・。」
背中の痕は自分で見ることができないからわからないが、他の箇所にあった痕の大半は消えていた。しかし左手首についた痕がなかなか消えてくれない。目敏く見つけるほど職場の人が自分を見ているとは思えないけれど、自ら積極的に晒す気になれないのは当然のことだ。
つい先日まで真っ当な価値観を持った先輩だと思っていた。しかし黒川との関係を拗らせた事といい、自分には人の本質を見抜く力が足りないようだ。一方で、これくらいの性癖を何とも思っていない自分もいる。
「宇津井がトイレから帰ってきたら、店出よう?」
「今日は行きませんから。」
「え? 来ないの?」
焦ったように隣りで身を乗り出してくる坂口から目を逸らす。
「だって、宇津井さんが変に思いますよ。」
「一旦駅行くフリしてさ・・・」
坂口が入れ知恵を言い終える前に、廊下から宇津井の戻ってくる足音がする。テーブルの下で縋るように掴んできた坂口の手を振り払い、瀬戸は動揺を隠して戻ってきた宇津井を見上げた。
「あれ、なんか鳴ってない?」
余計な事に気付かなくていいと言わんばかりに溜息をついたのは坂口だった。携帯を取り出してあからさまに肩を落とす。
「・・・川辺だ。」
「川辺さん?」
「瀬戸、逃げるなよ。」
「ッ・・・。」
小声で耳打ちして部屋を出ていく坂口から強引に目を逸らす。宇津井に視線を戻すと、彼は微笑んでこちらを見ていた。
「なぁ、瀬戸。」
「はい・・・。」
「坂口とそんなに仲良くないヤツって心当たりある?」
「仲良くない人、ですか?」
「そう。」
宇津井の真意がわからず瀬戸は首を傾げる。しかも坂口は人当たりがいいから、誰かと仲が悪いという話は聞いたことがない。
「坂口さん、誰とでも仲良さそうですけど・・・。」
「だよなぁ。俺もそう思う。」
相槌にますます困惑して瀬戸が見上げると、宇津井は気にするなという素振りで破顔した。
「いやぁ、大した話じゃなくて。坂口がさ、仲良くしたいヤツがいるらしいんだけど、嫌われてるかもって落ち込んでたから。一課と二課とパーテーションで分かれちゃってるし、わかんないよな。変な事聞いてゴメン、ゴメン。気にしなくていいから。」
「いえ・・・。」
仲良くしたかった相手が誰だろうかと邪推するほど歪んではいない。嫌われているかもしれないと不安にさせるような態度を自分が取っていたのは事実だ。左手首に残る痕は、坂口が寄せてくれる想いの大きさと執着かと思うと、痕が疼くようで落ち着かない。
「瀬戸はさ、好きな人とかいないの?」
「え・・・。」
「あ、いるんだ。」
そんな話を振られる覚悟をしていなくて、不意打ちの急襲に狼狽える。否定しようとした矢先に赤面していたら言い訳のしようがない。
「職場の人?」
「あ、の・・・。」
困った時だけ助けを求めるなんて都合が良過ぎるけれど、早く坂口が戻ってこないかと部屋のドアを見つめる。
「わかった、わかった。これ以上聞かないから。ほら、あーん。」
「えっと・・・えッ?」
鶏の照り焼きを箸で摘み上げて宇津井が差し出してくる。先輩の軽いおふざけを冷たく断罪するわけにもいかず、仕方なく口を開いて鶏の照り焼きを受け止める。
「なッ・・・。」
ドアの方から喉を潰したような声が上がったので視線を移すと、タイミング良いのか悪いのか、坂口が携帯片手に帰還していた。坂口の目が混乱の眼差しそのものだったので、咀嚼しながら何と説明しようか迷っていると、宇津井があっけらかんと笑う。
「瀬戸、好きな人いるんだって。恥ずかしがってるのが可愛いから餌付けしてた。」
「宇津井、瀬戸で遊ぶなよ。なんだと思うだろ・・・。」
少し怒ったような口調の坂口を恐々と見上げる。瀬戸は坂口の瞳に明らかな嫉妬を読み取った。
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朝霧とおる