忙しい川辺に代わって、早速請け負って欲しい仕事があると坂口が連絡を寄越した。電話越しに聞こえてくる坂口の声が自分の鼓動を早くしている事実が受け止められずに戸惑う。会ってしまえば心臓が煩く鳴ることはわかっていたけれど、仕事の依頼で会いたくないとは言えない。川辺の仕事を自分に振ってくれと頼んだのは、他でもない瀬戸自身だ。
「瀬戸、お疲れ。」
「お疲れ様です。」
「急にごめんな。」
「いえ。」
坂口を見上げて目に飛び込んできたのは、彼の唇だった。どうしたって意識してしまう。彼の家から帰宅しても、先が気になっていた読みかけの小説に手を付けることなく、坂口の事ばかり考えていた。
目の前に彼が立っているだけで、眩暈をおぼえる。冷静でいられない。食い入るように口元ばかり見つめているわけにもいかないので、瀬戸は差し出された企画書に目を落とした。
「リニューアル案件な。」
「はい。」
「概要のところにもある通りなんだけど、今回はターゲットを女性にも広げたい。だけどこういう商品って、ネットで買う人が圧倒的に多いから、検索かけた時の一覧でうちの商品だってことはわかるようにしたい。」
企画書の左上に大きく載せられた写真。写された透明ボトルの中身はローションだ。この手の物とは縁遠くて、全く良案が思い浮かばない。
「じゃあ・・・大幅には変えない方が良いですよね。」
碌な事を言えない自分にガッカリする。今からリサーチするしかないけれど、関連グッズも引っ掛かって出てくるだろうから、社内で堂々と閲覧するには勇気がいる。
「そう。難しいとは思うけど・・・」
「やってみます。」
「うん、よろしく。」
突っ込んだ打ち合わせもしないまま、ほぼ丸投げの状態で去っていこうとする坂口に、瀬戸は内心首を傾げる。しかし苦笑いをして目を泳がせる坂口を視界の隅に入れて、追及するのはやめることにした。
仕事であることには違いないけれど、彼ですらこういう案件は気まずいのかもしれない。さすがに見当違いの物を作れば訂正は入れてくるだろうし、まずは頼らずに作ってみようと思い直して、坂口をデスクから見送った。
「あれ、瀬戸ってそういうジャンルやったことあるっけ?」
「いえ・・・全然なくて・・・。」
川辺がコピー機から出力物を持って戻ってきたらしく、背後から企画書を覗き込んでくる。
「坂口さんから?」
「はい。」
「坂口さん、何て言ってた?」
「えっと・・・特に、何も・・・。」
「そっか。坂口さん、結構詳しいのに・・・おかしいな。」
川辺の言葉に頷いたのは、最もな言い分だからだ。進捗だし、先輩だからという面もあるけれど、自社で扱っている商品に関して、坂口は企画部の中で一位二位を争うほど詳しい。そして普段の彼は、企画書をかなり掘り下げて指示を出してくることが多い。
瀬戸の前で気まずそうな顔を浮かべるだけだった坂口は、いつもの彼らしさからは程遠い。なんだか見捨てられた気分だ。
「アダルトグッズって難しいんだよね。新規でゴムのパッケージやらせてもらった時、十回以上ダメ出しされちゃって。」
「十回以上・・・。」
そんなに訂正が入ったら、今週中に絶対終わらない。認識が甘かったと企画書を見つめて固まっていると、川辺がデスク横に備え付けてある引き出しのファイルをあさり始める。
「ローションはやったことないけど・・・この資料とか使えるかも。見る?」
「・・・はい。ありがとうございます。」
受け取ったファイルをめくると、一番上にあった校正記録用紙は十三回まで埋まっていた。
「間に合うかな・・・。」
若干青褪めながらファイリングしてある資料に没頭する。気付けばいつも通り残業コースだった。
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朝霧とおる