梅雨入り後も雨が中休みしていた北海道は、幸い傘を差さずに済んでいる。たくさんの書類を抱えながらの移動に苦心しないのは助かる。
「今藤、もうお昼決めてる?」
「いや、まだ。オススメある?」
「イクラ食える?」
「もちろん。海鮮もの?」
「おう。」
大学の講堂を借りて催される勉強会では、懐かしい顔に会うこともしばしばだ。大学時代の旧友に会うこともあれば、社会人になって知り合った研究者と再会を果たすこともある。研究内容が変わらなければ、再会できる頻度も高く、親しくなくてもいつの間にか顔見知りになっている。
椎名は大学時代同じゼミだった。去年会った時にはなかったものが、今、彼の薬指で光っている。年賀状で結婚報告があったから、新婚生活を満喫しているはずだ。
「おめでと。」
「ああ。ようやく。うちの親が反対してたけど、強引に。」
「大丈夫なのか?」
「俺の人生だもん。なんだかんだ口出してきたって、親が責任取ってくれるわけじゃないし。揉めたら絶対みっちゃんの味方するって決めてる。」
結婚してからも、嫁でも奥さんでもなく愛称で呼び続けるのが彼らしい。大学時代から付き合っていた二人は、互いに研究職に就いている。
「真面目だし、仕事も順調そうだし、何が問題なんだ?」
「それがダメなんだと。仕事バリバリだと、家のことができない、って。時代錯誤もいいところだよな。家事やってもらうために結婚するんじゃねぇ、っての。」
進の両親も似たり寄ったりの価値観を持っていることを考えると、そういう風潮で生きてきた世代だろう。
皆が皆、押し付けてくるわけではないが、強制されれば反発もしたくなるし、生活に馴染まないことを強いられると息苦しくなる。結果、心が離れて、物理的にも距離を作ってしまう。血の繋がりがあっても、互いを尊重できないと、かえって拗れるのは経験済みだ。
「そっちは、仕事どう?」
「まあ、順調かな。来年、一区切り付きそう。」
「もしかして、自分の研究室?」
「ようやくな。」
「いいなぁ!」
「だろ?」
勤めている会社の組織体制が全く違うので、そもそも椎名の会社では個人に研究室が与えられることはない。
自分が力を入れたい研究をやらせてもらえるというのは、研究職に就く者であれば多くが憧れる。その切符がようやく目の前にまで迫っていたので、近頃手持ちの研究に熱が入っている。一方で、甲斐から目を離していたので、必要以上に彼の心を不安定にさせてしまったのだ。
「どうかした?」
「いや。」
思わず苦笑いをした進を、椎名が不思議そうに見上げてくる。
「色々謎だよなぁ、今藤って。」
「そうか?」
「私生活が想像できない。どっかの組の跡取りとかじゃないよね?」
「どんなイメージなんだよ。」
陽気に笑い飛ばしながら、詮索もしてこない椎名に救われたのは一度や二度ではない。込み入った事情は何も話してはいないが、一切踏み込んで来ないことを考えると、彼なりにある程度の察しはついているのかもしれない。
「あ、そこの青い看板。」
「随分人気なんだな。」
行列の長さに眉を潜めると、椎名が笑う。
「ここ、回転早いから、大丈夫だって。」
椎名の言う通り十五分も並ばずに着席する。都内では見られない安価で新鮮な丼を前に、思わずシャッターを切ると、椎名が無言で含み笑いをしてくる。
「送るんだよ。寂しがってるから。」
なんとなく椎名には言いたくなって恋人の存在を匂わせる。
「俺、みっちゃんに食べ物の写真は絶対送らない。」
「何で?」
「自分だけ美味しい物食べてズルイ、って前怒られた。」
「平和な夫婦だな。」
「食い物の恨みは怖えぞ?」
椎名からの忠告を笑って流す。甲斐の怒った顔が見られるなら、それも一興だと思ったのだ。どんな反応が返ってくるか想像しながら、送信する。送った写真はすぐ既読になった。
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朝霧とおる