寒い夜空の下にネオンの光が入り乱れる。忘年会シーズンでそこかしこで酔っ払いが陽気な声を上げていた。この一年、良かったことも悪かったことも取り敢えず脇に置き、鬱憤を晴らす時間は誰もが欲しいだろう。常盤食品の研究開発部に籍を置く今藤進(こんどうすすむ)もその一人だった。
大人数だろうが一人だろうが酒で心の澱を洗い流すことが好きだ。特別、依存症の気があるわけではない。好きなやつの顔を見ながら心で密かに想って飲む時間もせつなさが混じって気に入っているし、バーでゆきずりの相手を探して獲物に目を光らせるハンターのように勝気で飲むのも好きだった。
好きな相手と両想いになることは、夢のまた夢だ。同性が好きな自分にとって、そんな高望みは虚しくなるだけ。けれどその事を深刻に悩むほどもう若くもないし、昔から割と現実は見ている。
身体が昂る日は仕事帰りにバーへ足を延ばす。好みの顔を探して本名かもわからない名前だけを交わし、一晩限り身体の関係を持つ。その生活を誰かに語ったことはなく、当然誰からも咎められたりはしない。そんな自分を肯定しながら淡々と日々を過ごしてきたから、罪悪感とは無縁だ。
「今藤、ビール追加する?」
「あぁ、お願い。」
一度事故のようにキスを交わした目の前の男。営業部の甲斐雅人(かいまさと)は相変わらず同期のムードメーカーだった。入社した年、同期で催した忘年会で彼女に振られたことを酒の肴にして笑いを取っていた甲斐。駅までの帰り道、酔った勢いで進にキスをし、男でもできるじゃんと言って同期連中を驚かせた。
甲斐はしばらくの間、失恋の後遺症だと揶揄われていたっけ。進も散々この事故を同情された。今となっては完全に笑い話だ。
大学生活からの脱却を余儀なくされ、溜まった一年分のストレス。誰もがそれを発散しようと学生返りをして飲んだ飲み会だった。誰も進の想いになど気付いてはいない。それでいい。進の気持ちは周囲に戸惑いを呼ぶものでしかないはずだ。だから今日も進は甲斐への想いを肴に静かにグラスへと口をつける。
今でも自分は甲斐とのキスを忘れていない。好意を持って眺めていた男からの突然のキスは、進にとって二度と訪れない幸運だ。燻り続ける恋心は、この十年という歳月の間に、明確なルールをもたらした。
自分からは食事や飲みに誘わない。誘われたら三回に一度は付き合う。気持ちは誰にも明かさない。
三番目は特に重要な約束事だ。世の中どこで誰が繋がっているかわからない。だから赤の他人であっても想い人がいることそのものも吐露せずに過ごしてきた。それが苦しいかと問われても進にはわからない。この十年、進にとってはそれが当たり前で、この先もずっと当然のルールとして君臨し続けることを確信しているからだ。
「なぁ、年が明けたら、研開のやつらとも飲みたいんだけど。セッティングしてくんない?」
「いいよ。誰、呼ぶ?」
「今度、おまえんとこの課長と部長、引っ張ってきてよ。」
「了解。」
甲斐は顔が広い。営業という職業柄を考慮してもなお、社内だけでも多くのパイプを持っている。研開のメンバーと集いたければ甲斐自身でセッティングすることも全く不可能ではない。
それなのにわざわざ進を立てようとするのは、この男が進を気に入っているから。
甲斐は進に一目置いている。それは研究員としての実力云々よりも、進の人柄に寄るところが大きいだろう。
進は研究員としては珍しく、ほどほどに社交的だ。甲斐だけでなく、別の年代の営業とも付き合いがある。食品開発の研究員として勤める者の多くは、そういう付き合いを極端に嫌う者も少なくない。だから積極的に他の部署と接触を図る進は、研開の中でそれなりに重宝されている。上から見れば使い勝手の良い駒だろう。
「この時期になるとさ、思い出すんだよなぁ。」
「何を?」
進は聞かなくてもその答えがわかっていたが、あえて素知らぬ顔で甲斐に問う。
「つれないな、おまえ。キスした仲じゃん。」
甲斐の一言で、進が胸を熱くしていることに、この男はまるで気付いていない。別に気付く必要はこれっぽっちもないけれど。
「うわッ、また甲斐があの話、蒸し返してるよ。今藤も何か言ってやれよ。こいつモテるからって、相変わらずお調子者なんだよ。」
甲斐と同じ営業の酒井が上機嫌で参戦してくる。確かに甲斐は人気がある。若手の女性社員からお局まで、ひとたび出向けば引っ張りだこだ。
「甲斐、子どもだよね。キスくらいで仲良くなった気になるなんて。」
「おまえ、酷い! 研開で一番俺のこと理解してくれてると思ってたのに!」
進が笑みを浮かべながら殊勝な態度で言い返すと、甲斐が口を尖らせて抗議してくる。
本当に酔っ払いの戯言。だから飲み会は好きだ。本気と揶揄い、嘘の境界線が曖昧になり、誰も言ったことを気に留めることがない。蒸し返したところで笑い話になるのがオチだ。
「甲斐、またフラれたの?」
「いっつも、思ってた人と違うってフラれるんだぜ? もう面倒臭いから、付き合うのやめたんだわ。」
「去年の今頃は結婚したいとか騒いでたけど?」
酒井と二人で頷きながら進が尋ねると、大げさに肩を竦めて、うんざりしたように答える。
「酒井のノロケ話に騙された。」
「おまえ、人の結婚生活にケチつけんなよ!」
「俺さ、女に対して具体的な理想がないことに最近気付いたんだよね。」
酒井は呆れ顔で甲斐をあしらっていたが、進は無関心を装って流し見るに留めた。
何気ない言葉に可能性を探したくなるのは良くない傾向だ。流されて妙な気など起こさないように、進は自分に念じ続ける。
「今藤は? おまえも結構モテんのに、いないの?」
「さぁ、どうでしょう。」
顔は可もなく不可もない平凡なものだと自分では思っているが、背が高いのは目立つ。それに社交的な要素が加われば、好意的な目は自然と集まるものだ。それが自分に対して進が下している分析結果だった。
「こいつさ、絶対教えてくんないの。」
「甲斐と違って、言いふらす趣味はないだけだよ。」
「甲斐、おまえも今藤のこと、少しは見習えよ。」
酒に呑まれるほど弱くはない。だから自分にとって本音を織り交ぜても明るみに出ない飲み会は、貴重なストレス発散場所だ。小出しにしておけば、爆発することもない。
酒井に絡まれて、再びぎゃあぎゃあ騒ぎ始めた甲斐を横目に見る。好きなやつを遠慮なく見つめて、今日も進は満ち足りた時間を過ごした。
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朝霧とおる
2. BeLoveから来ました
こちらに飛んできました。
更新楽しみにしていますので
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Re:BeLoveから来ました
ブログの方が本拠地ですので、更新も一定で、お話も進んでおります。
また、楽しんでいただけたら嬉しいです!!
よろしくお願いいたします。