レイを一人部屋に残してきたことを心配していたものの、翌朝、部屋に戻るときちんと身なりを整えてキィと楽しげに歌っていた。キィも幼いレイに興味津々といった具合で、よくちょっかいを掛けている。
「フェイ様、お戻りになったのですか。」
「レイ、昨夜は一人で寂しくはなかったですか。」
「はい。キィ様がそばでお唄を歌ってくださいました。」
「そうですか。キィ、ありがとう。」
ついレイとキィから目を逸らしたのは、気まずさが少なからずあったからだ。
しかしレイはそんなフェイの様子に気付くこともなく、無邪気な顔で走り寄ってくる。キィへ視線を投げると、なんとも冷めた眼差しがこちらを見ていた。
「フェイ様、先ほどから外で大きな音がしているのです。熊でもいらっしゃるのですか?」
子どもの想像力は逞しい。王宮の庭に熊が出た日には大騒ぎだろう。しかしレイは大真面目なので、もちろんフェイも誠意をもって言葉を返す。
「熊は王宮にはおりませんよ。庭師たちが祀り棚の準備をしているのです。」
「マツリダナ・・・。」
小さな彼はこの世界にある半分の言葉も知らないだろう。しかし知らないということは、これから多くを知る喜びに溢れているということだ。
フェイは机上に重ねてあった薄い木の皮に筆で字を書いてみせる。
「祀り棚。」
レイが字面を目で追い口にしたので、フェイは微笑んで頷く。
「昨日、薬師のみなで、薬味を入れた酒を造ったでしょう?」
「はい。」
「全て、この祀り棚に並べて納めるのですよ。」
真剣な顔をして頷くレイが微笑ましい。こちらもあれやこれやと熱心に教えたくなるというものだ。
「どなたが召し上がるのですか?」
「天で私たちを見守ってくださる先の方々に召し上がっていただくのですよ。」
「先の方々・・・。」
全く気にも留めず言葉にしてから、フェイは無神経だったかと息を呑む。きっと彼は亡くした家族のことを真っ先に思い浮かべただろう。
「フェイ様・・・」
「なんでしょう。」
一度口にしてしまった言葉は消えない。フェイは努めて穏やかにレイの言葉を待った。
彼が寂しさを思い起こすようなら、彼に笑みが戻るまで離れずにいよう。
「父上や母上にも、届くでしょうか・・・。」
「ええ。きっと召し上がってくださると思いますよ。」
大きな目が潤む。泣くだろうと思った。しかし美しい瞳に溜まった滴は頬を流れ落ちることはなく、レイは小さな口をきつく結んだまま、しばらく身動き一つしなかった。
そんな彼をキィが慰めるように肩へ乗って頬擦りをする。
「キィ様、重いって申し上げたでしょう?」
力なくキィに笑って、彼は窓の方へ肩を落として歩いていく。空を見上げた小さな背中は悲しさに満ちていた。
* * *
ただそこにいれば多くのものに手が届く王宮は、輝きに満ちた広い世界を知りたいと願う幼子には窮屈だ。フェイもかつてそのように思い、師匠や先輩薬師たちを困らせた。
年の暮れが近い王都には色んな物品が所狭しと並ぶ。それらを見たいと駄々を捏ね、結局我慢がならず一人で抜け出し、師匠に叱られた。けれど叱られてもなお、あの抜け出した日を後悔したことはない。各地から集まった道行く人、見慣れない工芸品や食べ物は、触れずとも今も彩り豊かにこの目に焼き付いて残っている。
王都に生まれ育ったレイだが、年の暮れの活気は、彼にとっても特別なはず。この王都が、失った悲しみを思い起こすだけの場所にならぬよう、春になってここを旅立つ前に出来る限りのことをしてやりたい。
「レイ、こちらへ。」
呼び寄せたレイは、努めて元気なフリをする。そのことがさらに彼を痛々しく見せ、抱き締めてやりたいと思う心を堪えるのに苦労した。
彼が強がることを良しとするなら、それを否定したりはしたくない。小さくとも確固たる意志があり、それを軽んじたりすれば、かえって彼の信頼を失ってしまうだろう。
しかし本当にこれで良いのか、フェイにはまだわからなかった。師匠がフェイの尊厳を守ってくれたように、自分もレイを本当の意味で支えることができているのか。レイの存在は、自分が未熟者だと知るための鏡だ。
人は反省できる。しかし忘れやすい生き物でもある。すべての試練は、自分を顧みるために必要なことなのだろう。
「西から行商が来たそうです。私の友にも会いに参りましょう。」
「フェイ様のご友人ですか?」
「ええ。かつて一緒に旅をしたこともある方です。」
「お会いしたいです。」
小さく項垂れていた背がスッと伸びて、勢いよくレイが椅子から立ち上がる。瞳の奥が輝き、弾む声が期待に満ちていた。
そんな彼に肩で鎮座していたキィは驚いたようでバタバタと珍しく慌てている。
「ずっと遠くからいらっしゃるのですか? 背は高いのですか?」
先ほどまで全身が悲しみに打ちひしがれていたのに、彼は知らない場所からやってきたという者に興味をそそられたらしい。その変わり身の早さにキィと同様、フェイも驚く。
幼いことは弱さではない。大人よりずっと前を見て、未知の世界を知ろうと突き進む勇ましい存在だ。
レイがソウを気に入ってくれるといい。王都から出たことがない彼にとって、きっとかけがえのない出会いになるだろう。
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朝霧とおる