保健室に顔を出したら、とっくに部屋へ戻っていると聞かされ、直樹は内心首を傾げながら保健室をあとにする。
授業が終わる少し前に春哉は保健室を出たらしい。しかし授業後の自室に春哉の姿はなかった。下段のベッドは空だったし、浴室やトイレにいるような気配もなかったはずだ。
階段を早足で駆けて、二階の自室へ急ぐ。外はすっかり暗いし、体調が戻ったばかりの身体で長時間校内をうろついているとは思えない。けれどドアを開けても部屋の電気は消灯したまま、人のいる気配はない。
「春哉さん、どこだろう……。」
春哉の使う下段のベッドはもぬけの殻。先日直樹が整えた時と同じ状態を保っており、布団が使われた形跡もない。心配する気持ちはあるものの、入学してたった数日しか経っていない身としては、校内のどこを当たれば良いかもわからない。
「夕飯まで、まだ少しあるし……。」
案外、談話室で竜崎や柳と盛り上がっているかもしれないと思い直し、着替えもそこそこに再び部屋を出た。
上級生から順番に夕食なので、三年生の中には一階の談話室で集っている者も多かった。直樹は入り口付近から首だけ伸ばし、目立つ竜崎の姿を探す。しかし見慣れない顔ばかり。諦めかけたところで大きな手に肩を軽く叩かれる。
「どうした?」
「あ、竜崎さん。」
「おう。誰か探してんのか?」
「あの、春哉さんが見当たらなくて……。」
「春哉?」
「保健室にも、部屋にもいないの?」
「はい……。」
竜崎と柳が顔を見合わせて首を振るので、彼らの知るところではなかったようだ。当てが外れて途方に暮れていると、柳が長い腕を組んで思案し、口を開く。
「部屋の中、全部探した?」
「はい、一応……。」
部屋中と言っても、さほど広くはない。着替えるためにクローゼットも開けたし、用を足すためにトイレにも入った。それ以外に身を隠せるところなどないだろうと、柳に頷く。
「芝山のベッドも見た?」
「え……俺のベッドですか?」
「うん。勝手に侵入してること、よくあるから。」
「そのまま寝てることもあんな。」
言われてみれば、何かと理由をつけて上がり込んでくるから、十分有り得る話だ。
「俺のベッド、上で……見てません。ちょっと確認してきます。」
食堂の方へ歩き出した三年生たちの流れに逆らって、直樹は部屋へ戻るために階段を駆け上がる。陸上部の練習は運動不足だった直樹にしてみればなかなか過酷だ。一日を通して行ったり来たり。ヘトヘトになりながらも、春哉がいてくれることを期待して部屋へ急ぐ。
「春哉さん!」
滅多に出さない大きな声を出して、ドアを開けた瞬間、部屋の中へ向けて春哉の名を呼ぶ。電気をつけて、先程は意識を向けなかったベッドの上段へ視線を投げると、こんもりと盛り上がった掛布団が直樹の目に飛び込んできた。
「春哉さん!!」
単に気持ちよく寝入っているだけならそれでいい。けれど再び具合を悪くしているかもしれないと、僅かながら心配していたので、慣れない梯子を慎重に上って春哉の様子を確かめる。
「春哉さん?」
すっぽりと頭まで被っているので、ちっとも様子がわからない。直樹は一瞬躊躇ったものの、そっと掛布団をめくる。
「ッ……。」
こちらに背を向けて、最初は眠っているのかと思った。しかし春哉の肩が震えて、直樹から逃れるように身を丸めて壁側へ寄っていったので、不審に思って顔を覗き込む。
「春哉、さん……。」
「見ないで……ッ……くッ……」
「……どうしたんですか?」
泣いている理由を聞いて良かったのかどうか、直樹にはわからなかった。しかし今まで見てきた春哉からは想像できない姿に動揺し、聞かずにはいられない。直樹は梯子を上りきって、恐々伸ばした手で春哉の肩を擦る。
ビクッと震えた春哉の身体に手を離しかけたが、身体を反転させてきた春哉に手を掴まれる。
「ナオ……俺、迷惑?」
「え?」
「……迷惑じゃない?」
「そんな風に思った事ないですよ?」
春哉の泣いている理由に全く心当たりがないから困惑する。しかし何か誤解させて悲しませているようだというのは察したので、直樹はハッキリと否定した。
「……ホント?」
「ホントです。」
「うん……。」
泣き止んだと思ったら、神妙な面持ちで抱き着いてくる。春哉が身を寄せてくるたびに心臓が跳ねてしまうので落ち着かない。
この二日間は淡々としていて、部屋の中も静まり返っていた。春哉が戻ってきたら、また予測不可能な言動に振り回され、安穏とはしていられない。今まで経験したことのない感情が湧き出てくることへの戸惑いは確かにある。
「はぁ……。」
無意識のうちに溜息をついたら、腰に抱き着いていた春哉が不安そうな瞳で見上げてくる。
「いや、その……。」
「や、やっぱり、俺のことイヤ?」
双眸は疑いの感情で満ちていて、直樹は訂正しようと焦る。
「ち、違くて!」
「ナオ、ホントのこと言って!」
「春哉さん、何するかわからなくて、困るっていうか、緊張するっていうか……。」
「それって、キライって事とは違うの?」
「違います!」
本当に春哉のことを疎ましく思った事はない。翻弄され、心臓が駆けてばかりで、休まらないというだけだ。経験のない昂揚感は疲れる一方で心が温かくなったりもする。しかし、この複雑な感情を端的に伝える術がない。未知の感情に、困惑と好奇が入り混じる。いま一歩足りない勇気が直樹に足踏みをさせ、突き詰めて考えることを躊躇わせていた。
「そっか……。」
一瞬、春哉の表情が翳ったように見えた。しかし再び顔を上げてきた彼は、何かを振り切ったように笑う。違和感はあるのに、何も確証がなくて、直樹は問いただすことができない。急に身体を起こし、夕飯へ行ってくると言い残して部屋を出ていった春哉を、直樹は呆然と見送った。
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朝霧とおる