隣席で肩を並べて緊張しているのは自分だけなんだろう。生徒会の役員決めを終え、来年度から光は会長に、隆一は書記になる。三年生からの引き継ぎのため部屋に集合をかけられていたが、まだ部屋の中には光と隆一の二人きりだった。
普段は他愛のない話が口から澱みなく出てくるのに、今は沈黙の空気が苦い。けれど光が悶々としている横で隆一は変わらず涼やかな顔をしている。意識しているのは光だけで、隆一は光と戯れる気など全くないという風情ですらある。
「はぁ……。」
「十回目。」
「……え?」
「溜息。」
無意識に口から吐息を量産していたらしい。気まずさに顔を火照らせたが、隆一は頬杖をついて微笑んできた。口の端が品良く上がり、瑞々しさのある唇に吸い寄せられて目が釘付けになる。
「何?」
凝視されたら誰だって不審に思うだろう。しかし目を逸らそうと思うのに、首から上が固まってしまったかのように動いてくれない。ぎこちなく目を泳がせて、光は自分でも挙動不審になっているのを自覚した。
「名前……。」
「名前?」
「苗字じゃなくて、光でいい。」
必死に絞り出した言葉は唐突だったが、隆一の気を引くことはできたらしい。隆一がドキリとするような微笑みを向けてくる。
「隆一、って呼んでいい?」
呼び名の了承を取ること自体が珍しかった。それくらい普段なら自然に始められることが、隆一を前にするとできない。固唾を呑みながら返事を待つ自分が大層滑稽に思える。
「呼び方なんて何でもいいよ。でも……」
「……?」
「俺の名前なんて、よく覚えてるね。」
「ッ……。」
意識していることを見透かされたようなセリフに心がざわつく。早くこの微妙な空気を誰か打ち破ってくれと他力本願なことを思う時ほど、助けは来ないものだ。
「あ、や……ほら、二年も同じクラスなんだから、それくらい覚えてる。」
「ほとんど話したことないのに?」
責めるような口調ではないし、隆一の顔には笑みが浮かんだままだ。しかし静かな声音に追い詰められているように感じてしまうのは何故だろう。焦る光をよそに、隆一は手に持っていた文庫本を開いて読み始める。せっかく少し話せたのに、すぐに引かれてしまう境界線。噛み合わない心の距離を映し出しているようだ。
「隆一、何読んでんの?」
内心ハラハラしながら、それでも果敢に隆一の手元を覗き込む。彼の名を強くはっきり口にしたのは、微笑みで誤魔化されたくなかったからだ。
「源氏物語の意訳本。」
「へぇ……勉強のため?」
「違うよ。光源氏、好きなんだ。」
「チャラ男じゃん。」
隆一からは潔癖な印象さえ抱くのに、イメージとは正反対の人物を好きだと言われて意外に思う。フラフラと定まらない主人公の恋路を、むしろ彼なら断罪しそうだ。
「一途だよ。」
垣根の隙間から屋敷の中を窺う青年の挿絵。それを指でなぞる隆一の仕草に目を奪われる。細長く白い指、短く切り揃えてある爪さえ品があって、とても自分と同じ生き物とは信じ難い。わざととぼけた声を出すのが精一杯だった。
「そうかぁ?」
「全部読んだことある?」
「ない。」
授業の教材で読んだだけの、にわか知識だ。しかし断言すると隆一がいつもとは違う顔で笑う。彼を抑えているリミッターが外れて、初めて子どもらしい破顔した笑みを見た気がする。
「笑うことねぇだろ。」
「ホントに一途だよ。似てる。」
誰と似ているのだと聞く前に、部屋のドアが開けられて、上級生たちが入室してくる。咄嗟に口を噤んで、光の疑問は喉の奥に呑み込まれてしまう。隆一の顔に答えを探そうと顔色を窺うものの、彼は元通り微笑みの仮面をつけて光の方を見向きもしなかった。
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朝霧とおる