最強の敵が判明したので、どうにか引き離せないものかと涼介は頭を捻る。人間じゃないからいい、と据え置くわけにもいかない。世話をするという意味では涼介に対する想いより熱が入っている。涼介からしてみれば、どう考えても面白くない状況だ。
「ねぇ、結弦。」
「うん?」
天野が紅茶に注視している横で、二人仲良くティーカップやソーサーを熱心に拭いていた夕方。店内の緩やかな空気に違和感をおぼえない程度に、涼介はごく自然を装って結弦に声をかける。
「カタツムリ、そろそろ外に出たいんじゃないかな。」
「え・・・。」
「狭いケースの中だと、可哀想じゃない?」
「・・・。」
スプーンを手に取りかけた結弦の手は止まり、涼介の方を哀しそうな目で見上げてくる。
「イヤなの?」
「・・・うん。」
顔を顰めて俯いた結弦は険しい声ではっきり嫌だと意思表示してくる。
まずい。想像以上に結弦にとって地雷だったのかもしれないと今さら焦っても遅かった。
「だって・・・誰もいなくて・・・。」
「う、うん。」
「帰っても、誰も必要としてくれないから・・・。」
「結弦・・・。」
すっかり止まってしまった手は力をなくして、顔が強張っている。一瞬泣きそうに思えたが、結局泣かないところが結弦らしい。
「また、いらなくなっちゃう・・・。」
耳に届くか届かないかという小さな押し殺すような声に、涼介はヒヤリと汗を滲ませる。しかし、結弦は布巾を元あった位置に掛け直し、口をキュッと結んで天野の隣りへ逃げるように去ってしまう。涼介が声をかける暇はなかった。
結弦の言った言葉の意味がわからず、頭の中で反芻する。またいらなくなる、とはどういう意味なのか。そんな酷い言葉を誰かに言われたんだろうかと心配になる。頑なに彼が一緒にいたい、暮らしたいと言い続けたこととも何か関係があるのかもしれない。
天野の隣りに椅子を持ち出し、すっかり涼介の隣りを放棄したらしい結弦は、こちらに背中を向けるだけだ。
あまり間を置いて結弦を不安にさせたらいけないと思い、声を掛けようとした時。運悪く入口の扉が開いて来客を告げる。涼介の方を向くこともなく接客に立ってしまった結弦を見送って、涼介は落ち着かない気持ちを腹に溜め込んだ。
* * *
「結弦、帰ろう。」
「・・・うん。」
俯いたまま顔を上げてくれなくて、頑なになってしまった結弦にどう接しようかと悩みながら家への道を促した。
「結弦、さっきはゴメン。別に深い意味はなかったんだ。結弦がしたいようにして。」
「もう、言わない?」
「うん。言わないよ。」
涼介の残念な嫉妬心が言わせた提案だ。結弦をこんなに悲しませることが本意ではない。
「結弦」
ようやく涼介の呼びかけに顔を上げた結弦は、まだスッキリしたとは言えない顔だった。
「誰かに・・・いらない、って言われたの?」
「・・・。」
こちらの問いに頷くでも否定するでもなく、結弦はただ肩を落として、また俯いてしまう。
「言いたくない? 無理に話してほしいわけではないけど・・・」
「お母さん・・・」
「うん、お母さん?」
「いらなかった・・・かもしれなくて・・・」
結弦の両親がどうして離婚したのか詳しくは知らない。けれど小さかった結弦に傷を残したことは確かだろう。口数はもともと多い方ではないけれど、結弦が外へ向かって自分を主張しなくなったのは明らかにあの頃からだと思う。
「結弦のこといらない、ってお母さんに言われたの?」
「言われてない・・・けど・・・。」
口先だけで否定するのは簡単だけれど、涼介自身も置いていかれた身なので、彼の喪失感を幾分かわかってやれる。それだけに軽々しく、そんなことはないと否定してやることはできなかった。
「結弦」
とぼとぼと小さくなって歩く結弦の手を引いて、どうにか大切だと思うこの気持ちが伝わらないかと結弦の顔を覗き込む。
「俺には結弦が必要だよ。それだけじゃ、ダメかな?」
ハッと気付いたように顔を上げた結弦に、涼介は握る手を強くして結弦と目を合わせる。
「結弦が心変わりするまで、ずっとそばにいる。今日も一緒に寝て・・・明日は休みだし、一緒にどこかへ行ってもいいし、家でのんびり過ごしてもいい。」
「・・・うん。涼介といたい。」
「結弦」
結弦の心が不安で塗り潰されたら、繰り返し伝えればいい。大切なこと、必要な存在だということ。誰にも必要とされていないかもしれないという恐怖は、結弦にとって根深い闇なのかもしれない。絶やすことができないなら付き合っていくしかない。結弦が闇に呑み込まれそうになったら、涼介が手を伸ばして何度だって引き上げればいいことなのだ。
「不安になったら、ちゃんと言うんだよ? 隠して一人で悩むのはダメ。」
「でも・・・」
「でも?」
キュッと唇を結んで躊躇った後、ポツリと言葉をこぼす。
「一人で帰ると、毎日不安で・・・涼介に鬱陶しいって思われたくない。」
「そんなこと、思わない。」
外じゃなかったら抱き締めたのに。負の感情を抱かれるのがイヤだと思ってくれることが嬉しかった。涼介が結弦を求めるように、結弦も涼介を必要としてくれている。ただそれだけで、こんなにも胸がいっぱいになる。
結弦も満たされてほしい。必要とされていることを実感してくれればいいのにと願わずにはいられない。
「結弦、走って。」
「え?」
手を引いたまま唐突に走り出し、結弦が驚いた顔のままついてくる。駆け込んだ結弦の部屋で、衝動に任せて抱き締める。
「りょ、すけ・・・苦し・・・」
肩で息をしながら涼介の腕の中で埋もれていた結弦は、まだ何が起こったのかわからないとでも言うように瞬きもせず呆然としている。
「結弦、大好き。ずっと一緒にいて。」
「うん。」
「今度、流れ星にお願いしにいこう。」
「うん。」
「ちょっと、他力本願かな?」
少しおどけて結弦の顔を覗き込んでみると、ようやく結弦の顔から強張りが取れていく。
「お願いしにいく。」
見上げてきた真剣な瞳に涼介は頷いて笑う。
結弦が涼介の腕の中でごそごそと動き始め、何か思い付いたらしく本棚めがけて一直線に突き進んでいく。すると彼は使い古した星座早見表を掲げ、嬉しそうに涼介を見た。
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朝霧とおる