穏やかな空気を裂く高音が店内に響き渡って、涼介の手から滑り落ちた茶葉の缶が大きく床を跳ねて転がった。
「失礼いたしました。」
店内で寛ぐ老婦人二人に謝って、涼介は慌てて缶を拾い上げる。蓋が閉まっていて幸いだった。茶葉の無事を確認してホッと肩を撫で下ろす。
「加賀くん、大丈夫ですか。」
「はい。すみません。」
「割れ物じゃなくて良かった。君にケガをさせたら大変です。」
あくまで涼介を気遣ってくれる天野に恐縮しながらも、仕事に集中できていない自分が情けなくなる。
「加賀くん。今日はうわの空みたいですね。白鳥くんと喧嘩でもしてしまいましたか?」
「ッ・・・。」
いつもと変りないように接していたつもりだったが、天野の目にはお見通しらしい。結弦は驚くほどいつも通りだったから、異変を感じ取られたとしたら涼介の言動が原因なんだろう。
結弦は天野に頼まれたお遣いに出ていたが、もしかしたら涼介の様子を察知しての配慮だったのかもしれない。
「天野さん」
言ってごらんと促すようでもあり、皆まで言う必要はないと彼の穏やかな顔が語っているような気がする。迷いながら天野に声を掛け、涼介は言葉を探しながら事の断片だけを切り取って話すことにする。
「伝えたいことがあるのに、どう言っても伝わらなくて。」
「そうか。」
「どうしたらいいのか、わからなくなったんです。」
「それで途方に暮れているんだね。」
「はい。」
涼介は茶葉の缶をもとの場所へ戻したあと、肩を落として肺の中の重たい空気を吐き出した。
一方の天野はカップに視線を向けたまま、熱心に磨いていた。
「加賀くん、伝わっていないとは限らないかもしれませんよ?」
天野の声は聴いているだけで落ち着く。他の人なら即座に否を唱えたくなることであっても、一旦彼の話に耳を傾けてみようという気になるから不思議だ。
「君がそのサインに気付いていないだけかも。」
「サイン・・・。」
天野の言葉に洗い物から顔を上げて、物静かな声を拾っていく。
「そう。痛みをおぼえても人それぞれ反応が違うように、君の言葉を受け止めてどう返すかは人それぞれだから。伝わっていないかどうか、もう一度だけ確かめてみたらどうだろう。」
カランコロンと扉の鈴が鳴って、買い物袋を提げた結弦が帰ってくる。涼介はゴクリと喉を鳴らして不安を呑み込み、結弦から咄嗟に目をそらす。気まずさを感じているのは、やはり涼介だけらしかった。
* * *
一緒に帰ろうと声をかけてきた結弦に、曖昧に頷く。彼が足を向けたのは涼介のアパートで、迷うことなく突き進んでいく結弦を止める手立てもなく戸惑いながら追い掛ける。
「結弦?」
「今日は涼介の家に行く。」
「そ、そんなこと言われても・・・。」
「話があるけど、ここじゃダメだから。」
「・・・話?」
「うん。」
そう言いながらも涼介には目もくれず、足早に歩みを進める結弦に涼介の戸惑いは増すばかりだ。
話ってなんだろう。不穏な空気こそ感じないものの、何かを固く決意しているような結弦の面持ちに、涼介は少しばかり怯む。結局、自分は結弦の言動が怖い。好きだと言ってしまったこと、我慢できずにうっかり手を伸ばしたこと、その全てに否を言われることが怖い。
歩みの遅い涼介を咎めるように手を掴んで引きずるように突き進む結弦の所為で、遠くもない涼介のアパートにはあっという間に辿り着いてしまった。
見上げてくる無言の視線がドアを開けろと言っている。涼介がもたもたと落ち着きの取り戻せない手で鍵を回すと、結弦が部屋の中へ滑り込む。涼介が後ろ手でドアを閉めて鍵を掛けると、急に結弦の前進が止まって、くるりと振り返ってきた。
「あのね、涼介。」
「う、うん・・・。」
「好きだから、一緒にいたいんだ。」
「・・・え?」
唐突の告白が呑み込めずに目を瞬かせると、結弦はただ涼介の言葉を待つように見上げてくるだけだった。言いたいことは全て言い終えたと言わんばかりの満足顔だ。
「結弦、あの・・・」
「両想いだと、一緒にいられるよね?」
「結弦・・・俺のこと、好きなの?」
「うん。」
そうしたら、先日困った顔をしたのは何だったのだろう。
「この前・・・何で逃げたの? 抱き締めたのがイヤだったんじゃないの?」
「ッ・・・。」
「結弦?」
「身体が・・・」
「うん。」
「変になったから・・・。」
結弦にしては珍しく言葉を濁して俯くので、涼介は首を傾げる。顔を見ようと覗き込むと、恥ずかしそうに頬を染めて、目が泳いでいる。
涼介は結弦の反応を見て、意識されていることに気付く。こんな結弦は初めてで、急に忙しなく動き出した心臓にどうしたらいいのかわからなくなる。感動すらおぼえて、言葉を探したけれど、動揺で何一つ思い浮かばなかった。
「ねぇ、結弦。」
「・・・。」
「俺と結弦の好きが同じだって証明して。」
「証明?」
今までとは違うキス。湧き上がる激情だけでなく、嬉しさで心が震えてしまうような甘いキスをそっと贈る。
一度心を決めてしまうと、よっぽど涼介より真っすぐな結弦は、躊躇うということがないらしい。証明の意味がわかったらしい結弦は、涼介のキスから間も置かずに、お返しを寄越してくる。
ふにゃりと優しく触れていった唇を追い掛けて、涼介はもう一度結弦に口付けをした。
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朝霧とおる